ヒップ アメリカにおけるかっこよさの系譜学 (P‐Vine BOOKs) [単行本]
ジョン・リーランド (著), 篠儀 直子 (翻訳), 松井 領明 (翻訳)
筆者曰く、ヒップは過去でも未来でもなく、現在に生きるのだという。
そうなると、サラリーマン、つまり私が今置かれている立場はスクエアになりがちだ。
ファッションやイメージといった表層的な特徴がスクエアだと言いたいのではなく、
いや世間的な認識はそれらについてもスクエアなのだろうけど(ゲイナーやレオンが革命を起こさない限り)、
サラリーマンは未来や過去に生きがちだといる理由でスクエアなのだ。
ヒップとて過去や未来に生きることはあるだろう。しかしそれはあくまで現在に自らを置いた上でのことだ。
しかしサラリーマンは常に過去あるいは未来に身を置いている。
過去にあるときはそこから未来へ照射し、あるいはまたその逆も然りである。
サラリーマンが過去に思いを馳せる時、そこにあるのは学歴やら部活のことだ。
あるいは無味無色の業務経験だ。
そこから照射する未来は課長になった自分、部長になった自分だ。
照射される光は過去から未来へ一直線につながり、現在はそこにない。
現在という存在はキャリアという光にとって陰を生み出す障害物だ。
このとき、現在が、つまり日々の業務ってやつが絶望的につまらないものになる。
今やってることが未来にはつながらない。
無味無臭の業務経験が無色透明の部長である自分という未来につながることはあっても。
それは常に未来から過去へむけて浅く光で照らしてみるだけに過ぎない。
どうすればヒップになれるのだろう?
現在に生きることができるのだろう?
答え:日々の業務を精一杯生き抜く。
わあ、新人社員研修で何度も言われたことだ。
過去から未来への浅薄な光に陰を作るように、
力一杯日々の業務を頑張ろう、ということだ。
それがひじょうに難しいのは、
より楽な道、つまり日々の業務から逃げる人の方が圧倒的に多いことが示している。
つまり、ここで私が自分に改めて言い聞かせたいのは、
日々の業務を精一杯頑張ってヒップになろうぜ、ということだ。
同じサラリーマンでもヒップなやつとスクエアなやつがいると言うこと。
ヒップなdjとスクエアなdjがいるように。
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