“中性”について―コレージュ・ド・フランス講義 1977‐1978年度 (ロラン・バルト講義集成) (単行本)
ロラン バルト (著), Roland Barthes (原著), 塚本 昌則 (翻訳)
流し読み、理解度10%以下。テーマの選び方が恣意的でよくわからない。それとも他の本を読めば納得できるのか。
「範列から逃れるものすべてを、<中性>と呼ぶ。」(16)
「会話は、言語の果てしなく繰り返す性格(常時聖体礼拝)を現働化している」(38)
「沈黙:始めに、言葉の範列(諸々の闘争)の裏をかくために想定された武器」(53)
「繊細さが、無益な(機能を持たない)細部と戯れる倒錯である」(58)
「冗長さではなく補足を」(62)
「実際には一つの命題なので、「ウイ」は、先行する命題をふたたび取り上げ、確認し、繰り返す、冗長な表現である≠「ノン」は冗長な表現ではない。」(80)
「あの無限にどうでもいいもののうちに降りてゆけば、人生にたいする感覚を認めさせることができるだろうという直感である」(87)
「意味作用を発揮する対立は、特定の色のあいだではなく、非常に多くの場合、鮮やかな色と無色のあいだで生じる。」(92)
「<中性>は文法の重み(影)を耐え忍んでいる:=男性形でも女性形でもなく、あるいは(動詞としては)能動でもなく受動でもないもの」(126)
「<中性>の問題は名前を持たないことではなく、いくつもの名前を持つことであり、そのどれもが正確ではないことなのだ!」(205)
「闘争の回避は、西洋のイデオロギーによって、根本的に無効とされ、無価値とみなされている。」(218)
「どのような発話においても、「メッセージ」よりさらに重要なのは、「宛先」、「宛先をめぐる駆け引き」、「談話」、「談話の戦術」である。」(232)
「<書くこと>は、まさしく確実に言説の傲慢さの裏をかくような言説のあり方である」(273)
「死ぬことを忘れるな=自分が一度は生きたことを忘れるな」(284)
「真実に対する感受性ではなく、適合性に対する感受性というものがあるだろう。この感受性こそが構造主義を産みだした」(289)
「なぜなら<中性>は感情を廃絶するわけではなく、感情を導き、その「現れ」を調整するだけだからである。」(336)